客観的にみること

以前は譜面が読めて、弾けて、その通りに唄えたら○だった。
早弾きの曲なんかできたらはなまるだった。


いつのまにかお稽古で最近師匠からでる言葉は
唄にもリズムをつけること
唄いだしをそろえること
一音一音の音がゆれないこと
くらいは理解できたけど


歌詞の母音にもリズムの意識をもつ
三線と唄がぺったりくっつかない
三線弾きすぎてる
三線と唄は引き立てあう関係じゃないと
風が流れるようにうたう


となってくるとすぐに理解できなくて
思い切り悩んでしまい、
またわからないうえにすぐにどうにもできないから
落ち込みも激しい。
どこ向いてもカベ、カベ、カベ。


でも思い起こせば二年前、「祝節」が弾けなくて激しく落ちこんでたとき
去年カチャーシーがやっぱり弾けなくて必死だったとき
・・・あのときも「ブランコのってるみたいに」とか
「ノリをつけて」とかやっぱり意味不明の言葉だった


今、2年経ってみて、あのときの言葉が今よーくわかる。
いつのまにか祝節では悩まなくなった。
また別の悩みは山積みだけど。


そう考えれば、
ちょっとずつちょっとずつ、進んでるから
上の段階の悩みが出てきてるんだと信じたい。


きっと今抱えてる「わけわかんない言葉」も
2年後には理解できてるんだろう。


やっぱり客観的な言葉は宝物です。
袋小路にはまったとき
言葉がもらえると救われる。
そして自分でも自分を客観的に見る努力をする。
いやでも自分の唄の録音を聞く。
落ち込むけどしかたない。それが現実。
きっとそれでもそれなりに改善する方法はどっかにある。


やるっきゃないんだけどな〜。やってるんだけどな〜。
きっと私、人一倍時間かかってるよな〜。
上達はやい方だといわれてるけど、
普通こんだけやったらもっともっと上達するでしょ。


私の螺旋階段は
きっとずーっとずーっと大きくて長くてゆるやかなんだな・・・。


しゃーない、
それでもずっと歩くぞ、しんどいけど。