朝、うっすら草木の上は雪化粧。今朝の座禅は寒かった!
終わった後の副住職さんのお話の中で「人間はは自分の意思で生まれてきたわけではなく死ぬときもそうではないのに、死ぬことは自分でどうにかできる、と勘違いしている人が多い」という話題の後に、参加者の方から「今のお話で救われました、自分は・・・」と話し始めた内容は、身近な人をガンで亡くしたばかりで、ご自分もガンを抱えていて、告知をすすめた自分を悔いていた、という重い話だった。
会の全体が重く沈んだ感じになって、その言葉にだれがどう切り出すかと思っていたら・・・
 参禅会の重鎮みたいなおじいちゃんが「ところで住職、ペットを供養するところって増えてるけどあれ、ペットでも仏になれるのかねー」といきなり全然違う話題・・・・。
そうしたらまたとなりのおじいさん、「そんなのなってもなれなくても供養する人がなったって思えばいいんだよ、気持ちの問題」
「だいたい死んだらなーんもなくなるんだからいっしょだよ、いっしょ!」「・・・おめぇそりゃー身も蓋もねーよ」」「んなの、葬式だって、死んだらほっとくわけにいかねーし一人でうめたりしたら警察沙汰になるだろ、皆でしないとつかまっちまうから、仕方ねーからやるんだよ」・・・ホントにこのおじいちゃん、檀家なの??
 会はもう笑いの渦で、なごやかなかんじにもどってお開きになった。
全然違う話題に思えて実はあのおじいちゃんたち、「だからそんなの気にすることはない」のメッセージを最初に話された人に伝えたんじゃないかと思った。
 そういえば、その前の住職さんのお話でも沈みきった悲しいお葬式のときにも急にブレーカーが落ちて電気が消えたときに笑いがおこって、生きてた頃よくおばあちゃんがこうやって電気を消してびっくりさせておもしろいことを言って笑わせたよね、と思い出話になった、人間本当に哀しいときでも笑うことができるんだとおっしゃってた。丁度そんなことがすぐに起こって、不思議だなあ・・・・