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娘が今はやりのCDをいろいろ借りてきて聞いているけれど、どれも耳に残らない、なんでだろう。思うことは歌詞に共感できないこと、意味がないこと。
この前飲み会のときも大阪のうるま御殿でも、登川先生の「国頭ジントヨー」の歌詞が覚えていなくて歌えなくて、ちゃんと読み返してみたら、やっぱりすごいの。
まじしさるなかん 互げ肝合わちよー
(貧しくたって 2人は心合わせ、頑張って)
一人たれいだれい ジントヨー ちばてぃ行かな
(ほんとうにそう、気を張って)
たげに住みなりば 山国んみやくよー
(山国だって住めば都、互いを思う2人に心あり)
思る仲やりば ジントヨー 肝どやゆる
(ほんとうにそう、心だよね)
山国に居てぃん町方に居てぃんよー
(山国だって町だって、心が第一、生きる姿勢が第一)
肝持ちど第一 ジントヨー 身なり第一
(ほんとうにそう 姿勢が第一)
きっと私達の想像以上にその時代は、沖縄は、貧しくてつらい時代だったんだと思う。でも歌うことで互いを励まし、乗越えてきたんだろう。でもこれって物事の本質じゃない?今でも孔子や釈迦やキリストの教えが語り伝えられ、言葉が生きているように、今の時代だって大事な事、伝えたいこと。ただメロディーがいいとか映画で使われたから、とかじゃなく、なんとなく私がひかれるのはこういう深さもひとつの理由なんだと思う。