母の日記に彼岸花がいっぱいの写真があった。この花を見ると思い出す風景がある。それは5才の秋、祖父のお葬式。昔の田舎の葬式で、お墓までの葬式の行列、母について歩いた田んぼのあぜ道やお墓のまわりには確か赤い彼岸花がいっぱい咲いていたと思う。いつも夏に訪れる、青々と茂った田んぼと青臭い雑草の道とは違う秋の装いの道々の花が珍しく心に残っているのだろう。
私のお葬式の記憶は、布団に寝かされた、白いきれをかぶったおじいちゃんの周りにいっぱいのおばちゃんやお母さんたちが立っていてみんなおいおい泣いていたところから始まる。私はいとこといっしょに隅っこに重ねられた座布団でいつもより声を立てずに登ったり下りたりしてその様子をながめていた。その頃の田舎のお葬式は火葬ではなく、埋葬だった。おおきな正方形の木の箱に座った形で(たぶんお釈迦様みたいに足を組まれて)入れられるのだが、たぶん死後硬直で固いんだろう、大人が何人もでやっとおじいちゃんを箱に入れたのだがその時のおじいちゃんの横顔と手首を強烈に覚えている。そのあとの記憶は、その彼岸花の咲く道を歩いているところしかない。ただ行列はとてもにぎやか(歌とか歌ってたのかなー)だった気がするが定かではない。
私が5才のときだから、母にしてみると27才で父を亡くしていることになる。そんな年で父がいないなんて考えたら私にはとても耐えられないと思う。祖父の思い出話をするたびに泣き顔でくしゃくしゃになった母。子供心になんでそんなに涙がいっぱい出るのか不思議(痛いときしか涙は出ないと思っていた)だった。もっと母をなぐさめてあげられたら良かったな-・・なんて彼岸花の写真を見ながら考えていた。