その先にあるもの

先日から○○大賞をとった、という小説を読み出した。
でも、ちっともおもしろくない。琴線に触れない、というか、心に染みてこない。
マークスの山」だとか「ワイルド・スワン」とか村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」とか、
夢中になって、次の日仕事なのに本を置けなくて徹夜してしまったりしたのに、
今回のは次へ進む気持ちが起こらない。それより時間のムダじゃないか、と思ってしまった時点で
読み進むのをやめてしまった。


感動できるものに思わぬところで出会うこともあれば
探しても見つからないときもある。
でも、昔だったら「時間のムダ」という考えは浮かばなかっただろうなあ・・・・


もう人生の半分生きちゃった。
あと半分で、いったいどれだけの良いものに出会えるだろう。
どんな経験ができるだろう。
どこまでいけるだろう。


で、その先の先、はみんな同じ、なのに、
何をそんなに自分を豊かにしたいのか・・・?


あーあ、足るを知らない私の欲張りな心。



心理学者のエリクソンのライフサイクル理論というのを学んだことがある。

人間は乳児期、幼児期、学童期、青年期と段階を経て成人にいたる。
ちなみに青年期以降とは・・・
青年期……社会環境や人間関係における自分の居場所を求めて、心理的な帰属感を得る。

成人期初期……自分が愛する大切な他者を見つけ、
自分を愛してくれる大事な他者を見つけること。
特別な魅力と愛情を感じる他者(恋人・配偶者・親友)との
相互的なコミュニケーションの中で『愛』を通した幸福感の実感を得る。
『結婚し家庭を築いて次世代を再生産する喜び、愛すべき配偶者や子どもと生活を共にする安らぎ』のベクトルと
『結婚はしないが親密な他者との関係性の中で獲得する喜びや安らぎ』のベクトルがある。

成人期・壮年期……自分の世代の後に続く子どもや孫の世代に、
知識・経験・愛情を継承する為に努めること。
献身的に後世代の世話をして面倒を見るだけでなく、
自分の人生で得たかけがえのない経験的な知恵や理論的な知識を語り伝える事。

老年期……『死』という終局的な自らの運命を受容し、
自身の生涯と存在、人間関係を振り返りその価値を承認する中で、
知識や知恵を超えた自分固有の叡智へと接近すること。
自己実現・個性化の過程・自我の統合といった
抽象的な概念や観念でしか捉えられない『生の目的』に
自分なりの回答を見出し、それを深く実感すること。



これでいうと、まだ成人期初期、「幸福感の実感を得よう」としているだけで
次世代の為に、・・・っていう段階にはいないんだなあと、つくづく思う。


いったいそんな風に思える時期(壮年期)は、くることがあるのかしらん。