話します

走るスピードが速かっただけ、ぶちあたった壁は痛かった。
これがぼちぼちゆっくり、だったら、痛さも違ったと思うけれど・・・


まだ、全然立ち直っていなくて、
心に大きな重い石があってつらいです。
でも、落ち込むだけ落ち込むことも大事だと、ある人が言いました。
自分でちゃんと受け止めて、反省しないと、次に進めないから(今は進む気も起きないけど)、言葉にしておこうと思います。



今回の合宿に私は何をしに行ったんだろう。
何かを学ぶために行こうとしたはず。
それが・・・「この一年でこんなに弾けるようになりました〜!」って見てもらいたかった気持ちがなかった?
そんな自分に気づかされたことが、何よりいちばんつらかったこと。

沖縄民謡、音楽に対する謙虚さが欠けていた。
学ばせてもらっているっていう意識が薄かった。
こうやって書いていても本当に情けない。


そして、もうひとつ。
かずこさんの唄を聴いて、去年以上に、愕然としました。
ちがって当たり前、って頭ではわかっていても、ぜったい越えられない壁。分厚い壁を見てしまった。
私は1年間何をしてきたんだろう?
こんな自分の唄三線で「沖縄民謡やってます」って、えらそうに、何度もライブに出てきた私。
すごく恥ずかしくて情けなくって・・・。人前で唄えない・・・



「あんたは唄をいっぱいおぼえてるけど、唄えてない」
きっと一生この仲本先生の言葉、忘れられないと思う。
この言葉思い出すたびに、今も、涙が出る。
傷ついたのは理不尽なことを言われたからじゃない。

図星だったから。
唄いたい曲、好きな曲、知りたい曲。
去年の合宿であまりにも知らなさ過ぎてくやしくて、この1年いろんな唄聴いて、工工四集めて・・・
でも、ひとつとしてまともに唄えてなかった。
「好きな曲はあっても、惚れた曲はないだろ?あんたは好きなだけだ、惚れてない」
その曲を探しなさい、惚れたらとことんやりなさい。なにをあせってる?

すごく重い言葉だった。
そうしなければいけない、って思った。
でも
一方で、1年やってきたこと、何時間も練習して覚えた唄、その時間やいろいろを思い出して、
それをしてきた私は何をしてきたんだろう?って思うと涙が止まらなくなった。


やったことに無駄なことなんて1つもない、っていう言葉は私がいつも言ってる言葉
だけど、今はそう思えない。 
気づけてよかったとも思う。でもそのときは悲しいだけだった。


そして最後にもっとつらかったこと。
リズム、テンポ。これは政雄先生にも言われた。「一定のリズムで」。
合宿を通じて、痛切に思った。全然それができてない。ということは、基礎ができてない。
基礎もできてないのに、何で舞踊曲なんてやってんの?リズムがとれないでなんで人を躍らせられる?
思い知らされて本当につらかった。
何が一番つらいかって、師匠は今までも何度もそれを稽古で、ライブリハで伝えようとしてくれていたはず。
でもそれを全然理解していなかった。ちゃんとやろうとしないで、勝手に勝手に見つけてきた曲練習して・・・
きっと「なにを生徒に教えてきたんだ?」って言われたはず。
でも、違うの、私が私ひとりが勝手にやってたこと。
茅ヶ崎三線クラブのみんなじゃない。


本当にごめんなさい。
自分の軽率さ、未熟さ、申し訳なくて・・・・



私の痛みのもとは、こんなのがいっぱいいっぱい書ききれないほどミックスされています。


自信、って自分を信じること
自分を信じられなくなったらどうしたらいいんだろう


ここに書くことでは解決できないし、きっといつかは当たる壁だったと思えば、当たってよかった、って思うし、
でも よーし、じゃあ、っていう気になかなかなれないほど、キツかった。
だって、ぜーんぶ自分に思いあたるところがあって、そこをズバッ!!!っと打ち抜かれたんだから・・・


唄うのがこわくなって、唄を聴くのもつらくなって、ぼそっと打ち明けたら
長男が、メトロノームを貸してくれた。「とりあえず基礎練やったら」って。
唄うのはつらいから、ずっとそれをやってるけど
それに合わせてると弾けても、音を止めるともうだめ。
限界、ってあるのかな〜。やればできる、って幻想かな・・・


昨日、弱気なメールを送ったら、はなこさんに言われた。


のぶちゃんは三線、好きですか?
うたうのが好きですか?


好きです。
でも、ふられちゃったかも。


苦い、沖縄の旅でした。