政雄先生の教室の練習で、工工四に頼らない練習、と、真っ暗闇にして「恋ぬ花」を演奏していた。三線の音と唄だけが響きわたり、目からの刺激がないから、その分音がすごく心の中に入ってきて、皆さんの声がすごく近く、息づかいまで聞こえるような気がした。
 今日、お稽古のとき少しだけ目を閉じて演奏してみた。自分の声や三線や、先生の唄がよく聞こえる気がした。

 以前、「怪我したら大変、三線お稽古休まなきゃいけなくなる」って思っていたけれど、弾けなくなったら、唄をうたえばいいんだ。(よくコメントしてくださるまえこさんだって腱鞘炎で弾けなくても唄って練習しているって書いてた。)目が見えなくなっても、こんなかんじなんだ。唄える、弾けるじゃないか。

そういえば二年前研修で「手話でうたううた」の講師の女の人は低い低い低音のリズムしか聞こえない耳が不自由な人だった。でもその手話は表情豊かで、本当に歌っているみたいだった。

私は、弾けるし、唄えるし、聞こえる。
今、こうして不自由なく唄えることを感謝しながら、唄わなきゃいけないな・・・・