合宿一日目

帰ってきました!予想はしていたけれど、それ以上に中身の詰まった沖縄合宿!
言葉にするとそれだけになってしまいそうだけれど、報告を楽しみにしてくれているひともいるみだいなので、わすれないうちに書いておきます 
 

  • 出発の朝

朝5時前の始発に乗り、沖縄へひとり旅立つ。ここまでくるまでが長かった。留守中の4人分の食料の買出し、二日分の食事の下ごしらえ、お弁当作り、いろいろ頼みごと、荷造り。だからぜんぶ終わって家を出るときはもうそれで旅が半分すんだ様なかんじだった。

そして・・・9時半那覇空港に降り立つ。すぐに先発組の待つ首里のグランドキャッスルホテルへ。
実はここで私立幼稚園保育園九州地区研修大会というのがあり、照屋政雄先生の記念講演真っ最中。
「幼児期の原体験とともに」(だったかな)というタイトルとともに先生の唄三線が鳴り響く会場へ遅れ入っていく。
幼児期から唄っていた唄、戦争の苦しいときにそれをまぎらわせるために沖縄には唄があった。またその地にあった唄、出来事の唄、子をなくした哀しみの唄、米軍を山羊にたとえて唄った唄・・・つぎつぎと披露していく。
講演の最中、「今日は関東から孫弟子たちも来てくれています。私がこんなラジオでも流れない唄を今日やるのは、私がいなくなったら消えてしまう唄を伝えて行ってほしいから」と私達の方を見ながら壇上から語りかけた。・・・感動といっしょに重い言葉にふるえがくる。唄のほんの一部はこちらで。
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  • そして・・・いきなりの展開!

講演終了後、政雄先生がボランティアでデイケアセンターのライブをするというのでその近くのタコス屋に車で移動。今日同行したのは茅ヶ崎三線クラブから4人、宮地楽器から1人、神戸から先生の奥さんのお友達1人と矢島先生一家。おいしい「ここの味は本場の味」というタコスをいただいたあと、思いもかけない展開が待っていた。 「はい、あんたたち三線だして、リハーサルしなさい」「できるものでいいから、なにができるのか見るから、今やってみなさい」 
とまどう私達、そこへ遅れて到着した矢島先生、「なにやってるんですかあ?」
そりゃそうもいいたくなるよね、タコス屋で三線出してはみたものの立ちつくす私達見たら。
結局、訳を説明して、曲目相談。かぎやで風、豊節、歌の心、小田原でもやった手話つきのてぃんさぐぬ花、安里屋ユンタ、赤田首里殿内、ヒヤミカチ節。 ・・・これでやっと30分。
で、タコス屋でリハーサル、いきなり政雄先生の目の前で唄う。もう緊張する間もなく。
三線好きの店長さんも三線出してきてカウンターでにこにこ見ている。もちろんお店は営業中。入ってくるお客さんが私達をみて一瞬ぎょとして引いている(^^;)

そしたら政雄師匠、「やじー、おまえあとの30分やれ、俺は今日は脚くじいて出れないことにするから」と。


そして政雄先生の「小浜節」も聞かせていただき、デイケアセンターへ移動。

  • ライブ本番

デイケアセンターでは私達を暖かくオバア、オジイたちが迎えてくれました。 
 ライブで感激したのは関東だったら誰も知らない「かぎやで風」をみんな合唱、豊節もいろんな囃子がポンポン入る。そりゃそうだ、ウチナーの唄だもん、でもわかっていても感激!安里屋ユンタでオバアが立ち上がって前で踊りだすし(また上手なんだこれが)矢島先生の「小浜節」も気持ちよさそうに車椅子のオバアが唄っている。最後は本場のカチャーシーに感激してあっという間の一時間だった。
「チバリヨ〜、(むつかしい唄でも)唄いっぱいあびれ(沢山聞きなさい)」って言ってくれたことばが私達へのプレゼントだった。

  • まだまだ続く、「濃すぎ」の一日

33度の猛暑の中、ライブも終わっていったん政雄先生と別れぐったりのあと、コザへ移動。まだまだ今日やることの半分しか終わっていない。
ホテルハイビスカス」の映画に出てきたような建物の民宿「嘉陽荘」へ。素泊まり2000円、コザでは有名な民宿だそうで、民宿のオバアも「夜中何時でも帰ってきていいよ、三線弾いてもいいよ」と。2階の部屋は風がよく通り、コザの街が見渡せる。 

緊張でお腹がすいたので、24時間営業、という安くておいしい食堂に矢島先生が連れて行ってくれた。食べてみたかったナーベラー(ヘチマ)定食、ネリ(オクラ)定食、どちらもこの量(半端じゃない!)で550円!
 
沖縄のオバアが元気な訳が分かる気がする。
 
そのあと、具志川の呉服屋さんで念願の衣装を買い、コザに戻ってキャンパスレコード(超有名なビセカツさんがフツーに座っていた)先生おすすめ山里ユキさんのCDを買い、(ビセカツさんが「渋いネ〜!」って。)、あっという間に7時半。あわてて三線とりに宿に戻り、今日のメインの政雄先生の教室での合同練習へ。

  • あっという間の4時間半、すごくすごく充実した時間


ここでの内容は、三線について後日触れるたびに思い出しながら書いていこうと思う。
政雄先生の話はいっぱいいっぱい為になった。また、教室の皆さんの唄三線からも学ぶことがいっぱいあった。練習方法も工工四に頼らないように真っ暗闇にしたり、掛け合いの唄唄ったり、寝たり逆立ちしたり(!!!)もちろん独唱も。その中で、「あんた疲れたらやめるか?」「疲れたら寝て弾けばいい、寝てひくのに疲れたら起きてやればいい」の言葉には返す言葉がなかった。

そんな4時間半の稽古(政雄先生の話が半分くらいだったが)を終えて、くやしかったこと二つ。ウチナー口がわからなくて、みんなが笑っていることがわからない。そして・・・あと10年早く始めたかった。知らない唄(知っていても唄えない唄)がいっぱいで。
でもそれを言ったら、「ぼくは50からですよ」と言ってくれた人。先生も「遅いことなんてない70になってから教えている人もいる、出会えた今が幸せと思いなさい」とおっしゃってくれた。

そして前回の沖縄旅行で心に引っかかっていて、ぜひ聞いてみたかった「沖縄にはいっぱい素敵な唄があってうらやましい、でもヤマトンチュの私達がその沖縄の唄を唄うことをどう思っているのか」 という質問には、古株らしい先輩が「うれしいですよ、こっちの若い人でもあんまりやらん民謡を唄ってくれて」と言ってくれた。

なんだか胸のつかえがとれた気がした。

くすぬち教室の皆様どうもありがとうございました!


あーあ、一日で10日分くらいの合宿一日目はこうして終わったのデシタ。