旧正月だった

昨日で旅の目的はほぼ終わった気がしていたが・・・なんのなんの、今日も起こった、すごいこと。


目が覚めても昨日の余韻が残っていた。山羊を食べると次の日、悪いところが痛むんだ、自分の身体の悪いところがわかるよ、と政雄先生に言われていたちょっとドキドキしていたが何ともなくホッとする。デイゴホテルの無料インターネットで日記をチェックしたら、のど自慢にまえこさんとけいこさんが熊本から来てくれるといううれしいニュースにひとり小躍り。

今日は一日ドライブ、と名護の花祭り(少ないけれど桜が咲いている・・・春!)、琉球ガラス工房、万座毛を見学。だんなは仕事気分が出てきてホテルを実査したり仕事で付き合いのあったホテルに名刺を置いたり。それにしてもいたるところにシーサーが。マンションにもちゃーんといて、かわいい。今回は三線目的だったが今度はシーサー買いに来ようかしら。

宿に行く前に東まで行ってみようと日本一長いという海中道路を通って浜比嘉島へ。集落の一番奥にシルミチューという霊場があり、地元では琉球開祖の祖神だと言われていて、行ってみたら沢山の人がお参りしている。そう、今日は旧暦の元旦、皆初詣に来られている。普段は閉まっている奥の祠も今日は開けられていて(なんて幸運)、壺に小石を入れて皆お参りしていた。私達も入っていいよ、ということで拝ませてもらう。

今日の宿は前回もお世話になった園長先生のお友達、平和を歌うシンガーの会沢芽美さんのペンションまーみなー。2年半前のことを覚えていてくださった。おいしいお料理をいただいたあと、昨日の三線を出して芽美さんの三線といっしょに唄う。なにしろ沖縄に興味を持った初めのきっかけは芽美さんの保育園でのコンサートで「てぃんさぐの花」と「一人芝居」だったのだから、私の中では原点です。
30年来読谷に仕事で来られて、とうとうここに家を建てるために泊まりに来ているという今日お隣の部屋の宿泊者のおじさんと芽美さんとしばしうたと語らい。

そして短い沖縄滞在、欲張りな私は寝るのはまだまだと、今朝ネットで調べた読谷の民謡酒場二軒に電話。日曜の夜だけど開いていた「一番友小」というお店に出かける。

ここで、またまたすごいことが起こってしまう!
お客は私達と二人連れの若者だけ。山内昌春さんというCDも出していらっしゃる方の本場の三線島唄に聞き惚れてお客が少ないのをいいことに私も「新安里屋ユンタ」などを唄わせていただいたり「祝節」で三板を鳴らせたりしていたら年配のおじぃがお二人来店。そうして昨日政雄先生のところで三線を買った話をしたら・・・・なんと!
・・政雄先生のお兄さんだというではないですか。なんて偶然、それとも必然?「私はあんなには弾けんが、島太鼓と三線作ってるんよ」とのこと・・・
もう一人の方も、お店のご主人も先生、と呼ぶすごい方でした。
「あんたちょっとおいで」と席に呼ばれて「なんであんたは意味もようわからん沖縄の唄が好きなんや、流行歌もいっぱいあるだろうに」というすごい重い質問をされてしまった。初めはちょっとした興味だったけれどその唄の奥の深さと、唄の意味を知ってまた感動したり・・・そんなことをしどろもどろで答えただろうか。
「唄は習ったらそれだけでなくいろんな人のその唄を聞きなさい。良い所をまねしなさいよ、たとえばあいつとも僕も唄は違う」と、何曲も唄ってくださった。政雄先生のお兄様は、島太鼓を叩いてくださった。それはもう言葉にできません・・・あの方は具志幸徳さんというすごい先生なのよ、とお店のおかみさんが教えてくれた。
また今日もここではかけないけれどいっぱいいっぱいいろんなことを学んだ、経験した。まだ半年、知らないことが多すぎる自分がもどかしかった。