パイプの煙

休日らしく念入りに掃除、アイロン掛けをしていたらあっという間にお昼。とろろそばを作る。しこしことした父の手打ちそばが食べたい。エンジニアだった父は定年後、家庭菜園とそば打ちにのめり込んでいる。昔から凝り性だった父は若い頃は登山、私が小さい頃は釣り、そして私が学生の頃はパイプ。いろいろな種類パイプの葉を広げてはブレンドし、パイプも長いのや短いの、木目の変わったのや色の違うの、いちいち講釈しながらパイプにつめ、くゆらしていた。わたしも「この香りはちょっと甘いから好き」などと違いが分かるようになっていたから恐ろしい。サイドテーブルには缶ピースが常にあるヘビースモーカーの主のせまい家でこども時代を過ごした私が将来肺がんになったら父のせいだぞ、まったく。定年少し前にした病気がきっかけで、あっけなくタバコを止めてしまった父だが、実家のサイドボードの中にはかつてのパイプたちがおとなしく整然と並んでいる。それを目にするたびあの頃の父の日には梅地下のタバコセンターにパイプの葉の缶を選びに行ったことを思い出す。道具好きで、こだわり派の父が今愛用しているそば粉を練る器(名前はなんだったっけ)と一本五万円もするそば切り包丁。お蔵入りになる日が来ないことを祈ります。