福島へ行ってきました

福島県いわき市と、それから足を延ばして
原発事故でついこの間立ち入り禁止の区域だったのが解除された
双葉郡富岡町へ行ってきました。

行ったのはもう二週間ほど前になるけれど。

前回の福島・いわき市の旅の様子はこちらに。


今回はその時もお世話になった福島県議会議員、さいまる武進さんの県議選の出陣式に
復興支援でご縁ができた、神奈川の県会議員の日下さんが出席するためというのもあって同行したのですが、
(さいまるさんは71歳、私の母と同い年。
無事先日15日の投票で5期目の県議当選を果たしました)


今回も本当にとても貴重な体験といろいろ考えさせられる旅となりました。
早朝に神奈川を出発して、朝九時いわき市到着。
出陣式のあと、いわきに建てられた災害復興住宅へ。
これは原発事故で避難してきた双葉町富岡町などの住民の方のために建てられた
団地です。
とてもきれいでしたが無機質な感じが否めませんでした。

そこにある集会所で週に2回、団地の方の語らいの場となっているカフェがオープンする日だと聞いて訪問。沢山の折り鶴のカーテンが揺れていました。


午後は、前回訪れた障害者福祉施設「カナン村」に慰問演奏に。
できたばかりの礼拝堂&ホールで演奏させていただきました。
2月にお会いした懐かしいお顔があって、私たちを覚えてくださってた方もあって、
嬉しかった!



夕方、いわき湯本駅の足湯に入ったり、

懇親会&激励会に出席したり。


2日目。いわき駅近くのホテルからはスーパーひたちの勇姿が。
今日も快晴(2日間お天気にめぐまれて東北とは思えないほどのあたたかさでした)

いわきを北上して原発から半径20キロメートルにかろうじて入らなかった
広野町の、災害後復興して工場を再開した富士フィルムファインケミカルという会社を見学させてもらいました。

放射線についての基礎知識から、
工場再建までの道のりなど詳しくお話しを伺いました


そしてさらに北上して、福島第二原発のある楢葉町へ。

お昼ごはんを食べた食堂は、原発の作業員や除染の作業員でいっぱい。
北上するときに通った国道6号線も工事車両で渋滞していました。

寄せ書きも。


広野町の火力発電所と、そのふもとの川が見渡せる公園へ。
震災の時はこの川も逆流して海から何キロも離れたところの人も亡くなったそうです。


ここでも放射線測定機で計ると
落ち葉の溜まっているあたりでは
神奈川あたりの20倍の値でした



そして
さらに北上し、この間まで帰宅困難地域だった富岡町へ。
ここは除染作業が進行中で、除染が終わった住宅に
「除染完了」の札が。でもすぐ横の雑木林は手つかずで、
風が吹いたり雨がふったりしたら意味ないじゃないの・・・?と
まったく無知な私でも思ってしまいました。


そして除染した土をいれた黒い袋のおびただしい数が
いたるところの田んぼだった空き地に山積みに。
海岸沿いには黒い街かと思うほどの黒い袋の仮置き場がありました。



今は立ち入りが出来るようになったけれど
この間まで立ち入り禁止区域だった富岡町
まだ震災直後のままの姿の建物が。

4年半も経って、まだこのまま・・・
というか町の復興もできない、それが原発事故。
あらためて突きつけられた現実でした。

そして極めつけの体験。
防護服を借りて、富岡町から神奈川に避難している方の
お宅を訪問しました。

その方は今回福島の旅を一緒に同行している
日下さんの事務所のスタッフの方。
当時一番下のお子さんは小学6年生。
家族5人で原発事故のあと避難したあと、帰ることが出来なくなった家。
住む人が突然いなくなった家。
あの日のまま、片付けられもせず、空き巣にも入られ
荒らされたお家の中。ネズミの糞とクモの巣。



2階に上がり、子供部屋を開けたとたん、
涙がとまりませんでした。


一緒に案内してくれたお家のご主人が、
「線量が高くて、木や布や紙のものは繊維の隙間に放射線が入り込んでしまうから
除染もできず、なにも持ちだせないんですよ」
「ひな人形がそのままなのは残念です」
避難のその日、キティちゃんのつっかけのまま新潟方面に避難して
靴を最初に買ったそうです。

マンガやおもちゃや教科書まで。お気に入りのもの、自分の部屋に
突然帰れなくなったこどもたち。


もし自分のこどもたちがその体験にあったら・・・
胸が痛くて辛かった。
もっと私達はこの現実を知らなきゃいけない、忘れちゃいけない。



ゴーストタウンにしてしまい、
何万という人のふるさと、住む場所を奪ってしまった原発
悲しさとやるせなさと怒りがこみ上げてきました。

すぐ近くには
ここから先は帰宅困難地域のため立ち入りできませんとの看板とバリケード

だけどこの手前なら住むことができるのか?



私たちは第二原発で防護服を返して放射線のチェックを受け
1時間滞在した被ばく量は1マイクロシーベルト(0.001ミリシーベルト)です。と書いた紙をもらいました。
裏には放射線の量のたとえが色々のってあり、たとえばレントゲン1回につき0.1ミリシーベルトだそう。

でも、ということはここに100時間(4日)いればレントゲン1回分の被ばくをするってこと?そこに1年いれば?
・・・・除染作業をやっているとはいえ、そこにまた暮らせるとはとても思えませんでした。



今回福島は3度目でしたが
毎回本当にいろいろなことを教わる旅です。
また全然終わっていない。


この日をわすれないために
書いておきました。