クリスマスですね

私はキリスト教信者じゃないけれど、
3〜4歳のころ母の日曜学校についていってた思い出がある
賛美歌は昔から好きだった。 いつくしみ深き、友なるイエスは・・って小さい頃から歌ってた。
教会の帰りは必ず堺の金岡というところの祖父母の家に寄った。



この前、関西風の卵とじうどんを食べる機会があった。
食べてたとき、たまたま隣のテーブルのおばさんが関西のひとで
しゃべり方がおばあちゃんの妹のまさこおばちゃんにそっくりだった。
そのとき、いろんな思い出が蘇ってきて、ヘンなんだけど
「あ、おばあちゃん近くにいる」
って思ってしまった。
ほんとにはっきり顔も声も浮かんで、そばにいるようだった。




「わすれられないおくりもの」という本がある

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

わすれられないおくりもの (児童図書館・絵本の部屋)

アナグマさんは年をとって、「長いトンネルのむこうへ行くよ」
と手紙を残して死んでしまう。本人は羽が生えたように足が軽くなって、
空を飛ぶように、逝くのだけれど。
残された皆は最初はとてもとても悲しむのだけれど、
春が来てそのうち、アナグマさんが残してくれた知恵や工夫、
・・・ネクタイの結び方や、パンの焼き方、スケート、・・・そしてそれにまつわる
アナグマさんとの思い出・・・で心がゆたかになっていることを思い出す。
そして春がくるころには涙をみせずにアナグマさんとの思い出をお互いに語り合うことができるようになる・・・




おばあちゃんは、三味線が上手でした。
といってもおばあちゃんの三味線以外を聴いたことがなかったから
上手かどうかは知らないけれど、弾く時はきちんと正座をして、背筋をぴんと伸ばして、
普段のおっとりした様子から打って変わって凛とした声を出してた。
花札も強かった。お小遣いを賭けさせられて(^^;)よく真剣勝負した。
高校のころは、家ではぜったい食べられないような高級ステーキ肉を肉屋さんで買ってきてくれて、
行くたんびにご馳走してくれた。
口うるさいおじいちゃんを横目に、じーっと座って、遠くを見つめて煙草を吸ってることもあった。




長いトンネルのむこうにいっても、
時々こうやって帰ってくることあるんだなぁ
私が忘れないかぎり。





今年の後半、身近な人の事故やいたたまれない出来事や
幼なじみの突然の訃報が相次いで起こった
私の中で
今までになく、死について考えることが増えた



長く生きるって、こーいうことも増えていくってことなんだろう



そんななか、
娘が命と向き合う仕事をしたいと進路を決めた
ちょっと感慨深い・・・



死ぬってなに?
生きていくってなんのため?
家族でこんな話題することもなかったけれど
これからは、娘ともこんなことも話せたらいいな・・