父の日だった

飲んべえの父には鹿児島の芋焼酎と、沖縄の泡盛を一本ずつ(もちろん一升瓶)宅急便で送った。
お礼の電話は「畑仕事から帰って一杯やってたら届いたぞ、もういっぺん飲みなおさんとあかんな〜」(もちろん昼間)。


小さい頃から父が食卓で飲まなかったのを見たことがない。さすがにサラリーマンだった頃は朝はなかったが。
夕方、必ず7時ごろ、ピンポーンと玄関のインターホンが鳴って帰ってきたときに部屋が散らかっていないか、おしぼりが用意されてるか、食卓にビールのコップが出てるか、無意識に見渡したものだった。一つでもぬけていたら雷が落ちて子供心にすごく怖かった。
で、私達が早々に食べ終わってもビールの次は酒、そしてウイスキーか焼酎、と延々ツマミと一緒に食事が終わらない。生タラコにお酒かけて食べるのなんかはよく私ももらって好きだった。春はカマスゴやぬた、夏はうざく(胡瓜と鰻の酢の物)、他にも自家製塩辛、ピクルス、・・・今でもだが何品も並ぶ食卓がフツーだったから、友達のうちでごはんを出してもらったら皿数の少なさにびっくりしたことがある。片づけを手伝うころになると父の皿がなかなか片付かないので一個ずつ皿が空くたびにとっていったら「まだ終わってないわい!」とよく言われた。帰宅直後はぴりぴりするほど怖い雰囲気が、食事が終わる頃には上機嫌になり「六甲おろし」なんかを歌いだす。それも毎日のことだった。


今夜はまた、母と食べて上機嫌で飲んだかな。暑い大阪にはきっと夏は帰らないけど、またこっちきて恵比寿ガーデンプレイスで乾杯しよーね。