急に寒くなって、衣替えにクロゼットの中をゴソゴソしていたら実家から「捨てられないから持ってて」と以前送ってくれた、バトントワリングをやってたころの母がスパンコールをつけてくれた衣装が出てきた。

小学校3年生から中学に入るまでの4年間。中学にはバトン部がなかったのと、指導者が失踪しちゃったりしてやめちゃったけれど、あの頃は近くのスタジオだけでなく電車にのって難波での他の教室の合同練習とかけっこう真面目に通った。ダンスのレッスンやバトンを投げ上げて3回転、4回転して足の間から取る、なーんて練習も黙々とやって、肩には何度も取り損なってその時できた青あざが消えずにいまでも残っている。
なんだかんだと出演多数。西宮球場のバトンと吹奏楽の大会や神戸まつりのパレード、NHKのど自慢のオープニングダンス・・・小学生ながらリハーサル、本番なんかも経験した。自慢じゃないけど(自慢?)6年生のときバトンコンクール関西地区小学生の部予選6位で通過、東京(そのとき初めて東京に行って別の意味で感動した)で全国大会に出場した。で予選落ち。PL学園の子がすごくうまくて、手がぶるぶる震えてバトンを落とさないか必死の私達にくらべて笑顔で「見せる」演技に格の違いをみせつけられ、練習量の差と経験の差を実感した。
あのあっという間の2分足らずの演技時間、まわりの雰囲気に圧倒されて、わけがわからず終わってしまって、バカでかい駒沢公園の体育館の反響音の中ぼーっとして「どうしてもっと練習しなかったんだろう」って後悔したのを覚えている。


あのときに比べたら、ずいぶん心臓に毛がはえたと思う。人前でしゃべったり保育士だから手遊びしたりする経験もあるから、顔がこわばることも減った。


週末、2本のライブがある。ひとつは近所の、とっても小さい集会所の10名ほどの敬老会。
もうひとつは100畳くらいの広さの公民館での、沖縄料理屋さんの一周年記念のパーティー
三線の本番ってこれで何度目かな?9回目?10回目?うわーすごい。

もうすっかり度胸はついているはずなのに、それでも「大丈夫かな、あがらないかな」と少し不安になる自分がいる。

でも・・・・
合宿のときのライブや政雄先生の前での独唱、あのときに比べたら・・・
それに「もっと練習していれば」の後悔は、少なくともしない。だって、納得するまでやったんだもん。


だから、あとは笑顔で聴いてくれる人に楽しんでもらえるようにしたい。
「こわいかおしてたね」だけは言われないようにしたい。

敬老会の方は小さな会だから、聴いてくれる人がひとりだとしても、ね。