最近読んだ本

映画を見たかったけれど見れなかった。「三丁目の夕陽」のような昭和の古き良き時代を思い出す、っていう感想をよく聞く。 学校から帰って晩ごはんがなくて、「おなかがすいた」って言ったらばあちゃんが「気のせいや」という。それでもお腹がすいて夜中におなかがすいた、って言っても「夢やろ」。そんな貧乏でも「貧乏にも明るい貧乏と暗い貧乏がある、うちは明るい貧乏やから大丈夫や」と笑う。運動会のお弁当の話、野球の道具を買ってもらう話、そこここにじんとくる話が散らばっている。
読んで思い出したのは母方の祖母の笑顔。祖母の暮らしもここまですごくはなかったかもしれないけれど大変だっただろう。子供心に母の実家の茅葺き屋根と掘りごたつと蚊帳と五右衛門風呂のある家は宝物のような家で、夏休みがはじまったらすぐ行って、始業式の前の日までずっとたくさんのいとこたちと過ごした。一日中家の横の氷のような水の流れる、夜は蛍の飛ぶ川で水遊びして、寒くなると岩の上でお腹をあっためた。アブにもよく刺されて酷い思いもした。ご馳走を食べた思い出は法事のときの山のように積まれた巻き寿司くらいで、いつも朝はごった煮のみそ汁とごはんとたくわん、昼はチキンラーメンとおやつにスイカ、夜はカレーライスとかごはんに佃煮くらいしか覚えていないけれど、いつも満ち足りていた。いとことゆかりのふりかけだけで何杯までご飯食べられるか競争したことも覚えている。私達が遊んでいるときも奥の山の工事現場に働きにいったり近所の縫製工場の内職したり、畑仕事したり、摘んできたお茶の葉干してほうじ茶にしたり、いつもおばあちゃんは今思えば働いていた。
書き出したら次から次へと思い出が吹き出してきた。 作者の方はもちょっと年代が上だけれど、私にもやっぱり心の中に原風景があって、あったかい思い出があって、幸せだなあと思う。

石垣島の民宿「あさどや」にとまったとき、これでもか、と出てくる晩ごはんは強烈な印象で、いまだに子どもたちも時々あのときの食事のことを話題にする。山盛りのゴーヤチャンプルー、これで5人前だと思ったらそれが5皿でてきて目が点になり、そのうえ刺身、グルクンのから揚げ、沖縄そば、とつづき・・・さいごにとどめに「うな丼」が出たときは泣きそうになった。 
 それはここだけのことかとおもったら、そうじゃないことがこの本を読んでよくわかった。蕎麦を注文したらサービスにでっかいチキンカツが出てくるとか山盛りで蓋が閉められないカツどんとか・・・
でも最後にヤマトンチュがどうしても越えられない壁、という話が出てきて、それは私も感じたことがあったからすごく共感して読んだ。ちょっぴりせつない、でもどうしても魅かれる、沖縄なんです。

20年も前にこの人の「インド放浪」を読んですっかりインドに行った気になりこの人の見る世界を文章を通じて同じレンズで見ている気になったのを覚えている。
今の若者を見つめる目、とてもやさしい。そしてせつない。