夕方、いつも食べ盛りの子ども達においしいお米を送ってくれるおば(母の一番上の姉)の訃報が入った。
学校の休みごとにいとこたちと泊まりにいっていた祖母の家の近くで、丹波篠山の自然がいっぱいのおばのところには数え切れないほどの思い出がある。毎年のように苺狩りをさせてもらい、甘くてスーパーのとは比べ物にならない真っ赤な苺をおなかいっぱい頬張りながら摘んだ。こどもたちにもその経験をさせたくて、里帰りは春休み、と決めて毎年連れていった。「いっぱいもいで帰りや、ジャムにしたらおいしいさかい」といっしょになっていっぱい苺をとってくれた。夏に出来るトマトも普通のものと土が違うのか絶品で、好き嫌いの多かった娘もおばのうちのトマトなら丸かぶりして食べていた。毎年箱いっぱいいつも宅急便で送ってくれ、おすそわけするお隣の方はいつも特大のトマトを楽しみにしてくれていた。

 小さいころはいとことおばの家の近くでお盆にある「川すそまつり」の花火と屋台が楽しみだった。近くのお宮さんでは蝉とり、かくれんぼ、ボール鬼、いっぱい遊んだ。母より年が15,6上だからいとこのお姉ちゃん達も大きくて、私が小学校3年生のときにお嫁に行った。田舎の結婚式で、打掛姿で集まった近所の人たちにお菓子を配る姿は目に焼きついている。 お姉ちゃん達のレコードをいとこたちといろいろ聞かせてもらい(沢田研二とかカーペンターズとか)、大人の気分を味わったこともあったっけ。
 しゃべり方やしぐさが、20年前になくなった祖母にだんだん似てきて、おばの笑顔に祖母を重ね合わせてみたこともあった。そのおばは祖母と同じ80で、永眠。
毎月「もうお米なくなったよ〜おばちゃんよろしく!」と電話ではしょっちゅう話していたが、ここ何年か、足が遠のいていたおばの家に、お別れをしに明後日行くことになった。目をつぶると細かいタイルの色から、ひんやりした空気や玄関の置物や、細かい間取りまで思い出すあの家。
行って、おばといっしょに小さい頃の自分と出会ってこよう・・・。