だんなと夕方買い物に行く散歩道でなんの話のきっかけか子どものおこづかいの話になり私はそういえば高校のとき(大学だったかな?)月に一万円もおじいちゃんからもらってたよ、と話した。おこづかいほしさにバスに乗って学校の帰り道祖父の家に寄り、それも昼時ならお寿司(上にぎり)をとってくれ、おやつどきなら長崎屋のカステラをだしてくれ、ちょこっと祖父母の話にあいづちを打つくらいであとはこづかいをもらっていそいそと帰ってきた。ほんとあれがなにかと助かったのよねーと話したら、そのころの事情を知るだんなは、「それはおじいさんの、お母さんに対するお礼の気持ちだったんじゃないか」とぼそっと話した。そのころから祖母が少し認知症の症状が出始め、母はお昼を作ったり病院につきそったり家事をしに週何回か祖父母の家に通うようになっていた。そういえばお昼に行くときはたいがい母もいて迎えてくれた。「おじいさんの面と向かって言えないお母さんへの形をかえたまごころだったんだろう」 ・・・そうか、そうだったのかもしれない。今になってケチケチおじいちゃんの気前よさが納得できた気がした。 ハナミズキが咲くころお嫁にいくからと会社をやめて、7月の結婚式まで、やっぱり祖父母の家に通う母につきあっていっしょに祖父母の家に行き、新金岡の団地をあるいて魚屋さんや八百屋さんに行ったことを思い出す。毎日毎日、おいしい料理を作ってあげて、毎回おんなじ話につきあって、大変だっただろうなー。あのころって母は42、3歳だった。私ももうすぐおんなじくらいになるのに、だんなの両親が元気で、それも遠くにいるのでまったくそんな苦労はしていない。今やたら元気にはじけている母は、そのころの苦労のじいちゃんとばあちゃんからのごほうびなのかもしれないなー。ひさしぶりに祖父母のことを思い出して、ハナミズキを見上げながら、ちょっとしんみりした春の日でした。